be brave and run fast

黒崎俊のプログラミングと日常の考察日記

資本主義とか国民国家

9月1日にSan Franciscoに、語学留学生としてやってきた。ここにきてすでに4日が経つ。大通りは広く快晴続きなため、毎日気分よくスケートボードで駆け回っている。

 

昨日、社会人とお食事にいった時に、何処で何を学んでいるのかと尋ねられた。まず初めにこちらで聞かれることは、「何処で学び、何ができるのか」ということ。非常にシンプルかつシビアな社会である。こいつは使えるのかどうかとギラギラ判断してくる。確かに、雇用される側の僕らはお客様ではなく、「人的資本」である。だって、それは、僕達がいま資本主義という枠組みの中で生きているから。

資本主義

基本原理としては生産手段を持つ資本家が、生産手段を持たない賃金労働者を使用して利潤を追求する社会システムである[1]

この社会システムでは、企業は利潤を追求するための形態であり、技術力や専門知識を所有する者を雇用するが、彼らにとってはあくまで僕たちは費用でしかない。費用以上の利益を生み出さなければ解雇するのは当然だ。目まぐるしいスピードでボーダレスに人・物・金・情報が行き交う中で、便利になった自由になったと人々は喜ぶが、富を得るのは私企業であり、国境を超えて彼らが存在している今、それは「国富」ではなく「私物」である。経済的な力を手にした企業は、国家に圧力をかけ、法人税率を引き下げ、公害規制を緩和して、市場の開放を求めるだろう。すると、国民国家という概念が揺らぎ始める。グローバル企業が国家よりも財力を手にした時、現状の政治システムはどうなるんだろうか。

 

そんな社会が色々変わっているのだから、きっと働き方に対する考え方も今後変わってくるはず。世はまさに経済戦争時代。刀がデスクトップに変わっただけで、いつの時代も陣取り合戦は続くのでしょう。社会人になる前に色々考えられそうだ。

 

ではまた。